かばんぱんぱん

 

旅人はどこまで分け与えられることができるのだろうか。

 

たぶんあらゆる宗教において、持てる人が持たざる人に分け与えることは良しとされてたはず。日本語にだって“情けは人のためならず”という立派なことわざがある。今誰かに分け与えたものは、いつか形を変えて自分に返ってくる。だから人に何かを与えることを惜しまないようにと。

 

わたしはこの考えが好きだ。とても美しい生存戦略だと思っている。
自分が困窮するほど分け与えるほど人間ができていないけれど、余っている分を足りない人に差出せるぐらいの心持ちでいたい。ものを失ったことより、誰かの不足を補える方がずっとずっと幸せになれる気がする。

 

一方で私は現在旅行者だ。

自分の面倒をみてくれる人はほぼ存在しない。だから知恵を巡らせてなるべく小さく必要なものをまとめて持っている。やれと言われればコンビニ袋一つで旅行することだってできるけど、それをしないのは何かあったとき自分を守れるのは自分自身しかいないからだ。安全と健康は大枚払ったところで100パーセント確保できるわけではない。だから万一に備えて、今使わないようなダウンジャケットだって持ってる。ユニクロダイソーありがとう。

 

件の彼女は、とても身軽だった。
多分30リットルぐらいのバックパックを背負って、2年ほどヨーロッパを旅しているらしい。私より少し歳が上だが、とても若く見えた。

彼女は身軽が故に、いろいろ持っていなかった。
携帯は何世代も前のiPhoneでしょっちゅう熱暴走を起こしていたし、もちろん現地の通信手段なんて整えていなかった。数日前に洗面用具を無くしたらしく、シャンプー貸してくれとほぼ初対面で言われた。

最初のうちはわたしも気前よく差し出した。
これから数日共に過ごす仲間だ。赤の他人以上にはよくしてあげたいと思う。あれやこれやと差し出し続けてしばらく、なんとなく違和感を覚えるようになった。

「だって持ってないんだもん」
これは全てのことの免罪符になり得るのか?
例えば作業をしている時、彼女はいつも私に時間を聞いた。彼女は自分の携帯を持っているのに、それを使おうとせず私に時間を聞く。
例えば休憩の時、私が持ってきた水を彼女は特に断りもせず飲んだ。自分のボトルにはまだ水が入っているのにもかかわらず。
例えば通信が必要になった時、彼女は私の携帯からネットを使った。緊急のことかと思えば何か動画を見て笑っていた。

 

果たして私は彼女に分け与え続けるべきなのだろうか。

自分の器の小ささももちろん痛感している。
日本円に直せば全て100円未満のことだ。多分これが日本で起きてたことなら気にも留めなかったことだろう。現にこれを書いている今だって、「おちょこじゃーん!」の一言が止められない。
きっと文化の違いだってあったのかもしれない。彼女は南米出身だ。そういう繊細な価値観がずれるというのはよくあることだ。

でもここは砂漠だ。
生命線である水すら店を訪ねて買わなければならない、普段とはおおよそかけ離れた場所だ。実際に自分の分の飲み水は自分で購入していたし、常に残量を気にかけていた。

そんな環境で私は気持ちよく分け与えることに疑問を抱いてしまった。

一つは、旅人がどこまで人に頼るべきか。


旅人は基本自己完結型であるべきだと思う。誰かを頼る前提ではなく、基本全て自分で賄うのがいい。知らない土地で一人前として扱ってもらうにはやはり二本の足でたってなきゃ。もちろん不測の事態の場合はそうもいかないので、誰かの好意や善意に甘えることだってあるだろう。でもそれはあくまでアクシンデントであり、誰かが助けてくれる前提で動いちゃならない。
世の中には誰かの善意で食いつないで旅行を続ける人たちもいる。私はそれをいいことだとは思わない。善意はあくまで与える側発信のものなのだ。それをアテにしている時点でそれは善意ではなくてもはやおねだりや物乞いじゃないのか。旅行は贅沢なことだ。生きるために物乞いする人たちとはワケが違う。その旅行を続けなければ呼吸ができないのなら続ければいいけど、わたしはやらない。

じゃあ、自己完結するために必要なものはなんだ?と考えると、それは結構人それぞれなんじゃないかと思う。私は致命的な方向音痴なので割とgooglemapが欠かせない。故にモバイル通信は必須なんです。枕が変わるとねれないなら、枕に投資したっていい。健康と安全のためにはきちんと投資すべきだ。
彼女の場合、とにかくwifi環境について人に頼みまくっていた印象がある。サハラ砂漠でもネット使えるのが驚きだけど。モロッコの通信体系がどうなってるかはわかんないけど、少なくとも毎度毎度誰かにwifiないの?と聞き続ける彼女を見て、「そんなに欲しいなら80dhsで一ヶ月4G使えるの売ってるよ?」といったら「それはいらない」って言われた。そんなに四六時中必要ならきちんと投資すればいいのに。モロッコプライスでもご飯2回分ぐらいのもんだから、バカ高いわけでもない。

二度目のネット共有の申し出は無視した。


もう一つは、持っているやつに対しても分け与えるべきなのか。

前のwifiに関してもそうだ。彼女は持っていた。時間を確認する術も、シャンプーを買うお金も、水のボトルだって。でも自分のものを使わずあえて人に頼った。悪気があったのかはわからないけれど、そのバランス感覚がとても気に障った。なぜお前の都合に私が合わせなければならないのか。水が欲しければ10メートル歩いて取りに行けばいいし、時計を確認したけばポッケに携帯入れておけばいい。さすがに女性に向かって髪洗わなくても死なないでしょ?とは言わないけど、お気に入りのブランドのやつを買うまでの繋ぎとしてならお前にくれてやるぶんはない。
そうやって自分のものを出し惜しんだ分だけ、私には彼女が浅ましく見えて仕方がなかった。

本来ならそのあたり全部目をつぶって、「なんであれ困っているなら手を貸そうじゃないか」としたいところだった。あいにくそこまでは人間できていなかったみたい。精進するね。2世紀後に。「私獅子座だからわがままなの」とか言ってたけど、三十路過ぎたらそういうのやめない?

 

わたしも50リットルほどのバックパックを半ば体力にものを言わせながら担いで回っている。いつ無くなっても一晩泣いて済むものしか入れていないと常日頃豪語しているけれど、果たしてこの中にどれだけ人に差出せるものがあるのかはわからない。

 

今日はgoproの部品がボッキリ折れたので、一晩泣こうと思います。

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泣いてます。