ストラクチャーがくる
軟禁生活12日目(最終出社日翌日から起算)
- いいかげん集中して仕事をする方法を確立したい。ベッドって素敵すぎるから。
- Amazonから死ぬほど荷物届く。バランスボールのカバーとベッドカバー。これで床ベタベタ問題をどうにか解決したい。明日も届く。かいてきくうかんインターネットショッピング。でも物欲が爆発しそう。
- FITBOXING最高だ。筋トレは筋肉体操を取り入れることにした。意思が弱いからできればどなたかに怒られながらやりたい。そういう趣味ではない。みんなそうだそうに決まってる。
- ↓でお腹が千切れた
字がきたねえ
本当に今始まったことでもないのだけれど、字がべらぼうに汚い。いくら電子メールがここまで発達したとはいえ、まだまだメモを書いたり渡したりする機会は多い。その度、書いた本人が目を覆いたくなるようなものを渡してしまう申し訳なさと、用件さえ伝わればいいのだから字の美醜は関係ないだろうという事故弁明との板挟みになっている。
汚書道下にだって方向性がある。赤いバツが現在地です。たぶん象限は超えられないけどできれば原点に近づきたい。あわよくば上に行きたい。
でも日本語はまだいい方だ。
どれだけ汚くたって、複数のひらがな・カタカナ・漢字の組み合わせでできている以上、視認性が悪い字が多少混入していたって、読み手が勝手に保管してくれる。危い。って書いたってちゃんと”あぶない”って読んでくれるでしょう?
だが、英語はどうだろうか。
もちろん汚い。しかもこちらは支障をきたすレベルで。26文字×2パターンしかないんだから、当然だろう。日本語と比べて難読箇所の補完率はガクッと下がる。
学生時代、日本語よりも英語に触れる機会が多かった。書いたその時ははっきりした意識を持っていた欄外のメモも時間が経てばミミズになってしまう。だから拙い部分はわざわざPCスキャン+活字に直す作業をしていたこともある。。それもできない場合は頭文字と単語の切れ目だけでどうにか推測を行っていた。他人が書いた字ならまだしも自分の書いた字だ。
幸い当時はブロック体を推奨されていたため、たまに発生する”手書きエッセイ90分一本勝負”のような事態に陥っても、一応は読んでもらえていたらしい。これが筆記体だったら、と考えるといろいろ夜も眠れない。いくら仕事とはいえ、読み手にだってテンションというものがある。どんなにいいエッセイ書いたってきっとグレードはFだったに違いない。人は見た目で9割って言われてるけど、文章だってきっとそう。体裁整ってない文章がちゃんとしたこと言ってるわけないって思ってしまう。改めていうと結構な暴論だとも思う。
というかそもそも英語ネイティブの人の書く字っておっかないぐらい汚くて読めない。なにかしらのコメントがいただけてても、ひじきこぼしたのと見間違えてしまうから結局内容を本人に問い合わせていた。だったら”コメントあり”の一言で良かったんじゃない?
字を綺麗に書く、ということは、美徳とされていないのだろうか?あとアルファベット圏ネイティブ人が書くブロック体はどうして揃いも揃ってまる字なのか。
とにかく、字を綺麗にかきたい。できれば。
お家にいるから字を書こう。
あわよくば自分の字を見ることを苦痛じゃなくしたい。
本日の字(小文字)
mとnはもう普通に書いている。
a~eまでの自信に溢れ具合とfの心もとなさが対照的。
zは、カッコよく書いた”る”だと思っている。
今日の花
元気だった。バラがちょっと枯れる